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路地と芥子


異なるもの同士が生きられるあわいはどこにあるのだろう。

これまで、そしてこれからも、生きていく上で誰もが最も切に直面すること。
共生に向かうための小さなプラットフォームをつくりたいと思った。

​これは、生きられるあわいをつくるための試みです。

そしてただ自分が生きられるための試みでもあります。

 

 *

路地は、目的地へと向かう時に通る〈間〉であり、誰も裁かない。
そこには混沌とした、けれど血の通った、異なるもの同士が共存する風景がある。
弱く、自然の掟に淘汰されても、それは確かに生きた過程となる。

その風景や一瞬は、誰かの生をどこまでも照らすこともある。
雛芥子は、路地のいたるところに自生している。どこにでも存在する。

巷では厄介者と忌諱されるけれど、私はこの花の咲く風景が好きである。

目のまえのひとつひとつの呼吸を眼差して、想像することを忘れたくない。
川辺の芥子は、ひときわ赤い。
生きられる場所と、風景をかたちづくるひとつひとつと、
どちらが先でも後でもない、その両方を眼差し想像し、行き来する風のように在れたらいい。

 *

​ここに掲載するのは、無心に手を足を動かして記録された、作品未満のイメージの数々です。

完全ではない、ともすれば荒々しく、ともすればか弱く、仕事にはまずならないような未熟なそれらは、

しかし私にとってとても大切な生きられた日々の数々で、

​まずはその微かな声を聞くことから始めようと思いました。

語られることの無いはずのそんな道程の一つ一つが、次の他者へとつながることを願いながら。

 

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